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日本最高齢のチンドン屋 掲載日:2007年5月28日
情報提供元:定年時代(外部サイト)
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心の船のかじ
菊乃家さん

菊乃家さん

「東西東西(とざいとーざい)」。声高らかに始まるチンドンの名調子。多くの「定年世代」にとって懐かしい響きだが、2007(平成19)年に芸歴76年目を迎えるチンドン屋がいる。満90歳になる菊乃家〆丸(しめまる)さん=本名・大井正明、墨田区=だ。「あたし元気だしね。やめる気なんて全くないよ」と、歯切れの良い江戸っ子言葉で話す。孫のような弟子とコンビを組み、得意の口上を響かせる。

「世の中は、浮きも沈みも苦も楽も、心の舟のかじのとりよう」
書家でもある菊乃家さんが、よく書く言葉だ。数知れぬほど味わった「人生の浮き沈み」。弟子たちは「心のかじとりはチンドン同様円熟の域」と、決して怒らない師匠を慕う。

菊乃家さんがチンドン屋を始めたのは14歳のとき。チンドンで三味線を弾いていた母親のハルさんが、チンドン太鼓を買ってきたのがきっかけだった。ハルさんの商売道具のはずだったが、当時小学生の菊乃家さんにとっては格好の遊び道具。「おふくろは結局使わなかったけど、あたしが覚えちゃった」と菊乃家さん。小学校を卒業した昭和初期はチンドン屋の全盛期とあって演じ手が足りず、何度も頼まれた末、チンドン屋に加わった。
「嫌だったけど『あんちゃん上手だね』とほめられると、うれしくてね」

17 、18歳で弟子を持ったが、戦時色が濃くなるとともに仕事が急減。看板を下ろして造幣廠(ぞうへいしょう)に勤め、地雷作りをさせられた。これが菊乃家さんにとって「たった一度の宮仕え」。

「上の人の言うことは何でも絶対。あたしはそれがだめだった」
大戦の空襲で自宅は焼け落ちたが、終戦後に安定した職場を去った。「焼け跡のくず鉄拾い、コークス屋、空き缶拾い、とにかく何でもやった」と振り返る。チンドン屋を再開したのは1949(昭和24)年ごろ。戦後復興とともに依頼が増え、昭和30年代からチンドン一本で生計を立てた。

「チンドンは健康に最高にいい仕事。重い太鼓を抱え1日10キロ、20キロと歩くからね」
子どものころ胃腸が弱く、胸膜炎で死にかかったそうだが、チンドン屋になってからは病気知らず。

「でも収入はつまらない仕事。貯金とは無縁の人生だった」
妻のさな江さん(86)と顔を合わせ笑い飛ばす。戦後の住まいは空襲を逃れた民家で「居間兼台所兼洗面所だけ」。夫婦と子ども5人、ハルさんの8人家族が同じ部屋に寝起きした。

1:

心の船のかじ

2:

チンドン一筋の人生

定年時代 情報提供元:定年時代
定年時代

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※この記事は『定年時代』2007年1月号に掲載されたものです。
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