戦争を繰り返さないためにも、「戦争であったことは伝えなくちゃいけない」と熱く語る新藤さん
1944(昭和19)年春、当時松竹大船脚本部のシナリオライターだった32歳の新藤さんは召集令状を受け、広島の呉海兵団に二等水兵として入隊した。
新藤さんは振り返る。「日本人として、国家が命令すれば拒否するという気持ちはありませんでした。ただ、シナリオライターとしての仕事が遮断されることが残念でしたね。戦争に行けば死ぬに決まっていますから」
新藤さんと一緒に召集された100人は、まず予科練(海軍飛行予科練習生)の兵舎の掃除をした。終わると60人がマニラへ送られた。最終的に94人が戦場へ。残ったのは新藤さんを含めた6人。それぞれ家族がいて、以前は仕事を持っていた。彼らは軍隊で死と隣り合わせの中、過酷な体罰を受け続けた。
だが、そうした二等兵の戦記は、これまでの映画ではほとんど伝えられてこなかった。
新藤さんが訴えたいこと。それは「戦争のむなしさみたいなこと」。国がいろんな過ちを犯して国民を犠牲にして終戦になった、その一端をこういう状況だったと訴えたい、と話す。
靴を前後逆に履いて、前進しているが退却しているようにみせるという作戦があった。「そんなことで戦争に勝てないでしょう? 国民がどうなっても構わないから戦争をやるんだ。間違っているでしょ」
「戦記では『何島で何万人死んだ』と十把ひとからげに言われる兵隊にも個々の人生があったんだ」。夫婦で生活していれば、夫の戦死で家族が「破壊」される。だが個々のことを考えていたら戦争はできない。人間性を無視し、個を破壊して行うのだと。
新藤さんの語気が強まる。「平和な国家を作るということは家庭を守るということです」。国民が仕事をして生きて、かけがえのない家庭を作っている。それが国を作っている。「『平和のための戦争』などいかなるスローガンがあろうとも、家庭を破壊しているのは間違いない。『平和のための戦争をやる』。これほど矛盾をはらんだことはないでしょう」。個が破壊されるから戦争はしてはいけない、と新藤さんは繰り返す。
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